COLUMN製造コラム
先週の日曜日は、友人が「薩摩琵琶 鯱水会(さつまびわこすいかい)」の演奏会に出演するという事で見学に行ってきました。
14種の演奏があったのですが、正直長かったです(笑)。
友人は尺八を吹いていたのですが、最後に「野田の笛」と言う歌(語りと琵琶、そして尺八)が有り、内容がとても興味をそそるものでした。
武田信玄が京都を目指して西上する時に、三方ヶ原で徳川家康と対戦して打ち破り、その勢いで岡崎を目指したのですが、途中徳川方の出城「野田城」を打ち破ろうとして、手こずりました。
武田軍は3万の大軍で、守る方の野田城には400~500の守備兵で普通なら圧倒的に武田軍が優勢なんですが、お城が断崖絶壁と言っていいぐらいの場所にあり3万人の兵隊が一気に攻め落とすことができず、攻める方も400~500人ぐらいという事で、籠城戦になりました。
武田軍としては兵糧攻めが無難で(被害が少なくて済む)約一ヶ月経過していました。
その最中ですが、夜になると野田城から笛の音が聞こえてくるようになりました。
それが素晴らしかったので敵味方ともその笛の音に聞きほれていたのですが、野田城から見ると武田方の陣地から武将が野田城付近まで来ているらしいと情報が有り、その武将を狙撃しようという事で待ち構えていました。
そしてある晩、鉄砲で狙撃しました。
手ごたえが有り、その武将らしき人物が退散して行きました。
その武将と言うのが、武田信玄だったということです。
重症だったらしく、武田信玄は直ぐに甲斐の国へと引き返しました。
その途中で信玄は亡くなりました。
信玄が岡崎に向かう途中で甲斐の国に引き返した件については、病気説とか色々ありますが、この鉄砲での狙撃事件と言うのは初めて聞いたのですが、野田城の合った新城市の城跡に行くと、狙撃した場所というのがあるそうです。
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